プロフィール
個人データ
身 長 …
168cm
体 重 …
70kg前後(コロナ太り。。。)
愛 称 …
もっさん(やまもっさんの略称!?)
性 格 …
のんびり且つ大雑把(時々頑固)
趣 味 …
B級グルメ、プロレス観戦など
家 族 …
2021年1月にハナコを、5月に桃次郎の飼い猫(保護猫)2匹を見送り、また夫婦二人になりました。
1968(昭和43)年11月 観音寺市生まれ。
  • 小学校時代
     実はクラスで一番よく本を読む子どもでした。今は、専門誌や雑誌ばかり読むようになってしまいました。
  • 中学校時代
     『金八先生』の内容もそうでしたが、当時は校内暴力が社会問題になっていて、私が通った中学校も例外ではありませんでした。“世の中の現実”というものを少しずつ知っていったのが、このころでしょうか。
  • 高校時代
     地元の観音寺第一高等学校[理数課]に入学。当初はエンジニアになりたかったのですが、しだいに世の中のことをもっと知りたいと思うようになり、大学受験直前に理系から文転。あえなく、補習科でもう一年勉強することになりました。

1988(昭和63)年4月 立命館大学法学部入学
  • 大学時代
     元号が昭和から平成に変わり、社会主義国が軒並み崩壊するなど、激動の時代を過ごすことになりました。歴史ある京都の地で4年間を過ごせた経験、そして友人に恵まれたことは、何にも代え難い私の大切な財産です。

1992(平成4)年4月  香川県庁入庁
商工労働部労政技能課・土木部土庄土木事務所・総務部職員課・出納局会計課・防災局危機管理課・土木部港湾課に勤務。
  • 県庁時代
    組合活動の様子(1997年)
    組合活動の様子
    (1997年)
     本当はマスコミ・出版関係に就職したかったのですが夢叶わず、故郷で人の役に立てる仕事ということで、公務員を選びました。同僚や先輩に恵まれ、公務員生活に順調に慣れていく一方で、「こんな税金の使い方でいいのか!?」という疑問を感じることも多くなっていました。やがて、目の前の仕事だけをこなしていくことに物足りなくなり、
    横浜での勉強会(2006年)
    横浜での勉強会
    (2006年)
    組合活動などにも参加するようになりました。しかし、それでも物足りなくなり、積極的に庁内外の各種勉強会に参加していきました。私たちが言い出した「身の丈にあった財政運営」「風通しの良い県庁」という表現も、いつしか県庁内で公式に使われるようになり、それなりの意義と効果があったものと自負しています。

    台風16号高潮災害(山本撮影)
    台風16号高潮災害
    (山本撮影)
     仕事上で忘れられないことが2つあります。まず、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災です。神戸市の応援に一週間ほど派遣されたのですが、学生時代に見慣れた街並みがことごとく破壊されていたことに大きなショックを受けました。また、2004(平成16)年の台風・高潮災害も忘れられません。当時は危機管理課に所属しており、それこそ毎日が非常事態のようでした。この2つの体験を通じて、防災の重要性と自然の脅威、併せて現代文明のもろさを痛感させられました。

2006(平成18)年8月  香川県庁退職
  • 立候補の経緯
     役所勤めという仕事上、嫌でも政治と向き合うわけですが、現実を知れば知るほど政治に期待することに疲れていった…というのが正直なところです。そんな時に出会ったのが、小川淳也さん(現衆議院議員)でした。それまで小川さんとはまったく接点はなかったのですが(年は私の方が3つ上になります。)、いろいろ話をしたり、勉強会に来てもらったりするうちに「彼のような人間が国会議員になったら、本当に世の中が変わるかもしれない。」と思い始めるようになりました。それから、同じように小川さんに魅入られた人たちといっしょに彼を応援するようになりました。

     そんな私に地方議員の立候補の打診があったのは、2005年の総選挙後、小川さんが2回目の挑戦で見事初当選を果たした秋のことでした。国政で政権交代を目指す以上、地元の地方議員も増やさなければならないという理由です。さすがに悩みましたが、一度きりの人生と思い、自分なりに腹をくくりました。そして、民主党香川県連初の候補者公募に応募・合格し、公認候補として高松市議会議員選挙に挑戦することとなりました。

     しかし、選挙で誰かを応援するのと自分が選挙に出るのとでは話の次元が違います。もちろん私自身すべてが初めてのことなので、何をどうすればいいのかまったくわかりません。民主党公認と言っても、政治活動は候補者本人任せです。 私の場合は、観音寺出身なので高松に地縁や血縁もなく、さらに誰かの後を継いだわけでもなく、ましてやお金持ちでもありません。まさしく、「地盤・看板・鞄なし」のスタートでした。結局は、今まで培った人間関係を頼りに「山本さとし」という人間を地道に売り込んでいくしかありません。立候補表明後はつらい経験もありましたが、同時に人のあたたかさを再確認していった日々でもありました。

2007(平成19)年4月  市議会議員選挙
  • 初当選 ≪3,748票・旧市内40人中7位≫
    苦労をかけた妻と
    苦労をかけた妻と
     おかげさまで、結果を出すことができました。
     本当にありがたい思いでいっぱいです。
     何の実績もない私にいただいた期待の大きさ・重さを忘れることなく、議員活動にまい進していく覚悟です。引き続きの叱咤激励、よろしくお願いします!

2011(平成23)年4月 香川県議会議員選挙
  • 初当選 ≪5,203票・高松市選挙区15人中15位≫
    深夜の当選確定!
    深夜の当選確定!
      与党への大逆風、市議からの転身、さらに東日本大震災後の自粛ムードが漂う中、何とか最下位で当選させていただきました。これは「ここからおまえはやっていけ!」というみなさまからの声だと思い、しっかりと活動していきます!

2015(平成27)年4月 香川県議会議員選挙
  • 2期目当選≪無投票≫
    深夜の当選確定!
      結果的に、高松市選挙区においても戦後初の無投票となりました。4年後はしっかりと評価いただけるように、気を入れ直して活動してまいります。

2016(平成28)年5月
  • 民進党議員会を解消し、社民系会派とリベラル香川を結成。初代幹事長に就任。
  • 少子化対策特別委員会委員長に就任。

2016(平成28)年11月
  • 会派代表質問

2017(平成29)年9月
  • 議会改革検討委員会で、会派を代表して、自民党議員会の海外視察を追及。

2017(平成29)年10月
  • 決算行政評価特別委員会副委員長に就任。

2018(平成30)年5月
  • 総合防災対策特別委員会委員長に就任。

2018(平成30)年6月
  • 県立体育館整備に関わる特別委員会副委員長に就任。
  • 国民民主党香川県総支部連合会幹事長に就任。

     2017年秋の総選挙以後、結果的に民進党は分裂してしまいました。
     この間、地方組織も永田町の思惑に翻弄され続けましたが、私は残ってくれる地方議員の仲間と、それでも御支援いただけるみなさんの想いを最優先にして、民進党香川県連の責任者として活動してまいりました。
     いろいろ複雑な思いはありますが、今後は「国民民主党」の一員として、引き続き仲間とともにがんばってまいりますので、いっそうの御支援・御鞭撻をお願い申し上げます。


2019(平成31)年4月
  • 3期目当選《7,172票、高松市選挙区15人中10位》

    3期目当選 少数激戦の厳しい選挙でしたが、何とか結果を出すことができました。御支援いただいたみなさんに、ただただ感謝申し上げます。

  • 会派「リベラル香川」幹事長に再就任。

2019(令和元)年4月
  • 議会運営委員会副委員長に就任。

2020(令和2)年4月
  • 新会派「県民ネットワーク」を結成。
  • 文教厚生常任委員長に就任。

2021(令和3)年4月
  • 新会派「香川県議会国民民主党・無所属の会」を結成し、会長に就任。
  • 文教厚生常任委員長に再就任。

2022(令和4)年4月
  • 経済常任委員長に就任。

2023(令和5)年4月
  • 4期目当選《6,769票、高松市選挙区15人中9位》

     過去最多の立候補者数、さらには新人と女性の勢いに圧され、苦しい選挙となりましたが、何とか結果を出すことができました。御支援いただいたみなさまに感謝するとともに、4期目も県議会のど真中からしっかりと活動してまいります。

  • 会派名を「香川県議会国民民主党議員会」(5人)に改称し、会長に就任。

2023(令和5)年5月
  • 環境建設常任委員長に就任。

よくある質問
問い1 「あんた、その年でよう県庁辞めたなぁ!?」

14年5ヵ月の県庁生活
14年5ヵ月の県庁生活
 格好よく答えるとすれば、「適当なところで自己満足しながら、公務員で居続けるのが嫌になったんです。」ということでしょうか。
 本当はかなりの期間、悩みました。私自身は普段からいいかげんな性格なのですが、さすがに悩みに悩みました。辞めて何とかなるのか?落ちたらどうするのか?そもそも政治家なんてできるのか?等々考えだしたらキリがありません。しんどい思いをする日々が続きました。

 しかし、小川さんから「自分の時も悩みましたが、死ぬ前に後悔だけはしたくないと思い、決心しました。」という話を聞き、私自身も「やっぱり…後悔したくない!」と決断しました。今から思えば、政治家を目指す上で必要不可欠なプロセスだったのでしょうが、本当に苦しい期間でした。
 そして、私事で突然退職することになり、職場には迷惑をかけてしまいました。立派な政治家になることで少しでも恩返しをしたいと考えています。
問い2 「よう、奥さんがえー言うたなぁ!?」

 「妻には私の想いを理解してもらい、快く了承してくれました。」と言いたいところですが、そんなわけはありません。私はまず自分自身の考えをハッキリさせてから、つまりは公務員を辞める決心をしてから奥さんに報告すべきと思い、実際そうしたのですが…、やはり怒られました。当たり前と言えば当たり前です。ただ、私は変なところで頑固なので、最後にはあきらめたようです。

今は理解してもらっているハズ?
今は理解してもらっているハズ?
 しかし、仮にうまく当選したとしても、8ヵ月間は完全に無収入です。公務員は失業保険もありませんから、貯金と退職金360万円でその間の生活費と政治活動費を賄っていかなければなりません。さらには、官舎に住んでいたので新しく住むところも探さなければなりませんし、その他さまざまな手続きも必要でした。「うちは子どももいないし、夫婦二人だけならなんとかなるだろう。」と考えていたのですが、結果的に妻や親族には予想以上に経済的・精神的な負担をかけることになってしまいました。政治家を目指す上で、あるいは続けていく上で家族の存在は本当にありがたいものだと、今更ながら感謝しています。

聞いてほしい質問
問い1 映画『県庁の星』に出たってホンマですか!?

 本当です。自称「県庁の流れ星」という表現もここから拝借させていただきました。2006(平成18)年に織田裕二さんと柴咲コウさん主演で公開されたこの映画、実は香川県庁が撮影舞台になっています。そして、私自身も織田祐二さんと佐々木蔵之助さんのツーショット直後にエキストラ出演しています。こう言うと何かすごいような気もしますが、実は後ろ姿が一瞬小さく映っているだけでよく探さないとわかりません。

問題の出演シーン
問題の出演シーン
 県外の勉強会などでこの話をすると、他の自治体の参加者からはけっこう熱心な質問をされます。「織田祐二は格好いいのか?」「柴崎コウはかわいいのか?」から始まって、「香川県庁には本当に最上階に職員専用のサロンがあってエスプレッソマシーンがおいてあるのか?」という具体的な質問まで多種多彩です。ちなみに、あれは映画の中だけの設定で、私はそのエスプレッソを慣れた感じで煎れて飲む役だったのですが、もちろんそんなことはしたことがないので、案の定リハーサルでは一回派手に失敗してしまいました。今では良い思い出です。
問い2 プロレスが好きなんですか!?

グレート・カブキ選手のお店で
グレート・カブキ選手のお店で
キラー・カーン選手のお店で
キラー・カーン選手のお店で
 大好きです…。何せ思春期を金曜8時の『ワールドプロレスリング』で過ごした世代ですから。若い人は格闘技ファンも多いですが、私としてはやっぱりプロレスが一番です。そこにはドラマがあり、人生があるからです。

川田選手のお店で
川田選手のお店で
松永選手のお店で
松永選手のお店で
  以前は、高松で興行がある場合はほとんど観に行っていましたし、上京した際もプロレスラー関係の居酒屋に行ったりしていました。
 プロレス会場でお会いしたときは、ぜひ声をかけてください!

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